CAMEL GOLF RESORT
クラブハウス内
「ジャンボ尾崎フォトミュージアム」について

キャメルゴルフリゾートは、ジャンボ尾崎将司プロが設計・監修!!
リンクスを彷彿させる戦略性の高い18ホールズ!

日本が生んだ不出生の尾崎将司プロ。プロ通算113勝は他の追随を許さない。そのジャンボ尾崎プロが心血を注いで設計した18ホールズ。英国のリンクスコースをイメージしたコースは、各ホールが違った顔を持ち、また、同じホールでも複数の攻略ルートが存在することから、ビギナーから上級者まで何度プレーしても飽きることがない、まさにゴルフの醍醐味を十分に満喫出来るコース。貴方も“ジャンボ”に挑戦してみてはいかが!?

 

尾崎将司(おざき まさし)プロ プロフィール

1947年1月24日生まれ。徳島県出身。1964年春、徳島・海南高校のエースとして選抜高校野球大会に優勝。翌年、プロ野球・西鉄ライオンズに入団するも4年後に退団して21歳でプロゴルファーを目指す。70年にプロテスト一発合格。翌年の71年には早くも初勝利を「日本プロゴルフ選手権」というメジャー大会で飾るとともにこの年、年間5勝を挙げる。
鮮烈なプロデビューの上、当時としては珍しい大型プロゴルファーの出現と常識を覆すような長打とその破壊力でプロゴルフ界を席巻する。そして大型ジェット旅客機ボーイング747型、通称“ジャンボ”機就航と共に、容姿とスケールの大きなゴルフから付けられた“ジャンボ尾崎”のニックネームのもと以後、日本のゴルフ人気を大いに高める。
賞金ランク制が始まった73年から99年までの26年間に12度の賞金王に輝いたほか、96年の「ダンロップフェニックストーナメント」では前人未到のプロ通算100勝目を達成。現在はその数を113勝(うちツアー94勝)にまで伸ばしている。
これまでジャンボ尾崎プロがプロゴルフ界に残した記録・功績は数多く、94年は年間7勝を飾り、ツアー初の年間獲得賞金2億円を突破。これは各大会の賞金総額が少ない時代での記録だった。さらに02年の「全日空(現ANA)オープン」では55歳という73年からのツアー制施行後の最年長優勝記録も打ち立てた。一方、海外でも73年の「マスターズ」で東洋人として初のベスト10となる8位と活躍、さらに89年の「全米オープン」では最終日に一時首位に並んで日本人メジャー初制覇の期待を抱かせるなど“ジャンボ尾崎”の名を世界に知らしめた。
また生涯獲得賞金も26億円を超え他の追随を許さない第1位のほか、95年から97年には年間平均ストローク68台を記録した唯一のプロでもある。60歳を過ぎた現在でもあくまでレギュラーツアーに固執し、その飽くなき探究心に衰えはなく、石川遼も技術・メンタル面の師と仰ぐなど多くの後輩たちを指導するとともに、日本のゴルフ界を牽引する存在感を依然として輝き放っている不世出のプロゴルファーである。

「ジャンボ尾崎プロ エピソード」
ジャンボ尾崎プロはスウィング理論・ゴルフクラブ理論・ゴルフコース設計理論にも精通し、その卓越した理論・論調・探究心・実戦力は他のプロの追随を許さず、それがジャンボ尾崎プロにとってプロゴルフ史上に燦然と輝く113勝の原動力になっている。中でもゴルフクラブやボールなどの開発に力を注ぎ、真っ先にメタルヘッドやカーボンシャフト、プレシジョンFMシャフト、ツーピースボールなどその時代の最先端素材をいち早くツアーの試合で紹介・使用するなど、現在のゴルフクラブの発展にも大きく寄与している。